秀吉の兵糧攻めってとっても合理的だったんだね
小学生のときから歴史の本を読むのが好きで、当時三英傑の中では秀吉が一番好きだった。
高学年になるにつれ、小学生用のマイルドな歴史本では満足出来なくなり、ちょっと大人向けの本を読んだ。
そしたら「秀吉の得意戦法は兵糧攻め」と知った。
その内容がなかなか過激で、まだまだ純粋だった小学生の私は秀吉にドン引きしてしまった。
今、日本の城に興味があり、本を色々と読んでいるが、やはり城の歴史と秀吉の歴史といっても過言ではないくらいどの城にも秀吉が出てくる。
100名城に選ばれる城は天守がある城が多い。
天守というのは信長によって様式が完成されたと言われている。
しかし、信長はその後すぐ本能寺で亡くなってしまう。
城は攻められることを想定して攻めにくいように、そして攻める気を起こさせないように設計されている。
信長が亡くなったあと攻めてくるのは誰か。
秀吉である。
城はいくら攻めにくくても天下人になるためには攻めなくてはならない。
ならば秀吉が取るべき手段は「兵糧攻め」である。
兵糧攻めであれば兵の消費が少なくて済む。
城を囲み逃げられないようにすればいいだけだ。
実に合理的である。さすが秀吉。
朝鮮出兵での経験がもとになっているらしい。
小学生の頃はドン引きして兵糧攻めについて調べる気も起きなかったが、今城についての知識を深めるために調べてみてもいいかもしれないと思いつつある。
なるべく過激じゃない本をよみたいものである。
それではこの辺で(o'ω')ノ
どわー